みぎわホームと南町田教会 教会的観点からの考察
「主の使がピリポにむかっていった、立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい(このガザは、今は荒れ はてている)そこで彼は立って出かけた」使徒行伝8・26 「原町田教会の定期総会には毎年伝道方針として開拓伝道を項目的に歌っているに過ぎなかった。しかし1977年4月24 日、定期総会において開拓伝道を具体的に実現するため、その拠点を探すことを決意した。当時原町田教会の伝道委員長の 渋谷善次郎兄、委員の清水トシ姉等先頭に 『立って南方へ行き』 鶴間地区に拠点を探しはじめた。『そこで彼は立って 出かけた』のである。」(ちいろば10号) 日本キリスト教団の「教規」によると、教団に属する教会には大きく分けて、「伝道所」「第二種教会」「第一種教会」 という区別がある。このうち、「伝道所」とは、120条 1. 教区、教会または教師、信徒は、伝道所を設けることが できる。 2. 伝道所は、教区に所属してその監督指導と援助を受けるか、または教会と関係を保ってその指導と援助を受けるもの とする。 1977/7 日本基督教団原町田教会牧師花岡政吉(町田在住50年)渋谷善次郎、清水トシ、3名で開拓伝道地を探す。・・ 8月より町田市鶴間774に住む。 1977/10 南町田伝道所として開所礼拝を始める。 1978/7 南町田伝道所認可 1979/1/2 花岡牧師、渋谷、清水、(老人ホームの)土地を探す。最終土曜日より祈りをはじめる。 1979/2/17 土地購入手付金10,010,000円支払い。 1979/3/8 東京都民生局社会福祉部に行く。3月末 花岡牧師代表責任者をおりる。 5/25土地代金残額支払いをし土地購入。花岡、渋谷、清水名義とする。 1979/6/22社会福祉法人南町田ちいろば会設立と特別養護老人ホーム建設仮申請。代表責任者清水、施設長渋谷、窓口K兄 1978年(昭和53年)日本基督教団南町田伝道所開設され、花岡牧師は主任担任教師に就任。小栗牧師原町田教会主任担任教師 牧師となり、花岡牧師は兼務担任教師となる。 1981/5/10南町田伝道所総会において社会福祉法人ちいろば会の設立とみぎわホーム建設を伝道所の業として正式に決議。 1981/10/9 社会福祉法人認可 1981/10/27南町田ちいろば会設立と特別養護老人ホーム法人設立 1984年(昭和59年)3月、花岡牧師原町田教会付属原町田幼稚園園長を退任。4月、原町田教会兼務担任教師退任される。 ☞花岡師は暫定的に就任した設立代表者を辞し、社会福祉法人は専任の代表者を必要とする(宗教法人と社会福祉法人の関 係)ので、花岡師は暫定的に就任した設立代表者を辞し、正式に清水姉が代表となったほか、施設長に渋谷兄、申請関係の 窓口にはA兄がそれぞれ就任した。 花岡政吉牧師におけるみぎわホーム ・・・大正の時代が終りを告げ昭和の年代に移る時、金沢を立ち、東京へ、そして横浜の関東学院の社会事業科へと進んだ 。渡部一高教授、生江孝之講師の社会事業に関する授業から今日の福祉に目を開かれ、基督者としての「隣人を愛せよ」に 心ひかれ、更に牧師として救霊の業に専念し、原町田教会よりおくり出されて鶴間地区への伝道牧会の業につかわされた。 憶えば明治から大正にかけて基督教にふれ、教会に足を運ぶ、そこは遠くの外国の教会員が連日連夜の祈祷会から誕生した 祈りの子の幼稚園でした。そして青年期に入って大正から昭和に移るその時、罪を告白して基督のお救いの中に加えられ、 五十年間の牧会伝道の末、南町田伝道所が特別養護老人ホームの創設に涙と共に連日連夜の祈りの結果として、とても不可 能と思われる福祉の業がスタートしようとしている。 清水トシ先生におけるみぎわホーム 3月13日の朝日新聞の朝刊にみぎわホームの寮母、山崎雅子さんの“いのちのはた職人”という詩集が取り上げられて居 りますが、彼女が寮母という介護の目を通し、又日夜のお世話を通して、何人かの人の生の終りを、だれもまねる事の出来 ないその人の生活の日々を、詩につづったものです。そのために私もホームの管理者の立場で少しお話をさせて戴きました 。それはこのホームが特別に神様のお働きに預かったことです。設立者の中の一人は定期預金の使い込みという事件に通し て、“銀はわたしのもの、金もまたわたしのものであると万軍の主は言われる”(ハガイ書2.8)という聖書のおことば によって土地を求める最初の基金を捧げ、又他の設立者は、自分の土地を処分して捧げ、もう一人の設立者も退職金、預金 を捧げあって土地の購入がなされ、南町田伝道所の祈りの業としてみぎわホームの建設、開設がなされました。(ちいろば7号) 渋谷善次郎兄におけるみぎわホーム 「その時、彼らはわたしが主であることを知るであろう」(エゼキエル25:17) 鶴間の地は・・・・昭和54年2月、この地に伝道所が開設され、花岡牧師と数名の私達原町田教会員がきて、教会堂の建 設地を祈り求めているうち、風光明媚なこの川のふちに老人ホーム建設の幻が与えられたのでした。そして伝道所での洗礼 第一号信者として与えられた ある兄弟のすすめで、はしなくもこの問答畑を購入することになったのです。彼の弟妹名義の 地所がこの隣にあったのです。土地購入までにいたる手付金の誌習いは清水姉の信仰の決断によってなされ、その後の残金 の支払いの金の具面も全く奇蹟としか思われませんでした。 「南方へ行こう」という原町田教会総会における鶴間地区の伝道ビジョンが、花岡牧師、伝道委員長渋谷兄、伝道委員清水 姉によって、原町田教会からの派遣による南町田伝道所がみぎわホームの始まりであるということを、認識する必要がある。 1982年みぎわホーム建設、1977年開拓伝道の拠点を定め南町田伝道所開設、1979年花岡牧師、渋谷、清水、(老人ホームの )土地を探す。最終土曜日より祈りをはじめるが1981年総会において社会福祉法人ちいろば会の設立とみぎわホーム建設を 伝道所の業として正式に決議するのである。宗教法人と社会福祉法人の関係で専任者を清水姉としておくが、宗教法人の元 での暫定的な代表役員は花岡先生であるという教会的歴史をわれわれは注意深く見る必要がある。みぎわホームは、神様か ら与えられた信徒の祈りと南町田教会の教会総会における教会のビジョンである。
「『みなみまちだ ちいろば 10号』 社会福祉法人 南町田ちいろば会」 より転載