日本基督教団 南町田教会

コロナ以後(After Crisis)の希望の時代

コロナ以後( After Crisis)の希望の時代

わたしたちと教会はコロナ以前(Before Crisis)とコロナ以後(After Crisis) さまざまな課題から逃げていては幸福にはなりません。

わたしたちと教会がコロナ以後( After Crisis)の時代に希望を見出ためには、教会の本質(神様に礼拝し、人を愛すること)を守ることです。その一方、社会構成員としての責任を果たさなければなりません。
コロナ禍は神様の前で、神様と共に生きる人間としての使命を自覚させます。試練の時であるからこそ心おごる者には神様の正しさの下で自らを振り返り、悔い改め、謙遜に生きることへと導きます。

マルティン・ルターは、人間の絶望こそ神の恵みに近いという逆説的な認識をしています。これは、自分の罪や弱さを開き直るのでも、無理に克服しようとするのでもありません。

「見えない神」を信じるわたしたちは、同時にコロナのゆえに「見えない恐怖」に恐れおののいているジレンマに苛まれています。

日本では古来より、見えないものを見ようとする文化があります。邪気を払うための「節分」の風習や、ウイルスによる疫病を擬神化し呪術により疫病神を退治するという見えないものを恐れ敬う暮らしがあります。

目に見えない多くの微生物(細菌、ウイルス、真菌)が存在しています。その中で、感染症を引き起こす微生物を病原体といいます。今回のコロナウィルスは感染しても無症状や軽症のため感染拡大要因に「見えにくい」クラスター(感染者集団)の存在が指摘されます。

コロナというウイルスを「目で見える形にする」ことが今後の研究対策になります。

見えるようにすることで、感染に関する人々の不安を和らげて安心・安全につながっていきます。

感染症リスクを減らそうとした対策行動が、当該リスクを減らすものの、かえって別のリスクを増やしてしまうこともあり得ます。

文化的・宗教的・倫理的な側面も考慮することをお勧めます。リスクを克服するためには、導入された対策によって、人々の行動がどのように変化するかをあらかじめ予測する必要があります。

ローマの信徒への手紙81節に「従って、今やキリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。」とあります。神が人を愛して、人の罪を赦し、赦された人はキリストとのうちに生きるということであります。

新型コロナの危機、わたしたちには二つの側面があると思われます。

一つは悪で、一つは善であるという考えであります。ある一瞬において、わたしたちは自分の良い面か、悪い面かのどちらかによって支配されています。良い面に従って生きているときは罪を犯すこと(隣人に対する配慮)はできないが、古いものが支配的なときは罪以外のことは何一つできない、ということです。神に聞いていく必要があります。イエス・キリストに聞くことから私たちの歩みは始まり、信仰の中心、聖書の中心なのです。そして神に聞いて歩むとき、真に豊かで祝福された人生があるのです。

最近、新型コロナで苦境にあえぐなか『ペスト』に着目いたしました。この書物の内容においてわたしたちは主人公・リウーに励まされます。ペストの感染者数の増減に一喜一憂する市民が書かれております。主人公の医師・リウーは、絶望の現実を受け入れ、「誠実さ」を掲げて頑張り抜くことで、仲間と連帯して感染の終息に奔走していきます。

わたしたちは今必要なのは淡々と、コロナを食い止めるために、自分たちがするべき仕事に従事すことです。不条理に対して真摯に生きていく姿こそコロナ以後( After Crisis)の「新しい人」であります。

キリスト者は、古いものに従って歩む者を「肉的な信仰人」といい、新しいさに従って歩む者は「霊的な信仰人」であるといいます。ほとんどの信仰人はこの二つの状態の間をどちらか一方に傾きながらも、かなり激しく行き来していると考えられます。

霊的な信仰人は「新しい人を着る」、ということです。

「新しい人」(新型コロナ感染症を克服する人)を私たちが主観的に経験することであります。

「新しい人」すなわち、「完成された人」イエス・キリストと「完成されつつある人」私たちは以前はこの世のもの、サタンの支配の下にありました。しかし。十字架で古い人は死に、新しく生まれ変わったのです。霊は新しくされているのです。

新しい人(コロナ以後 After Crisis)は新型コロナ感染症を克服するための隣人への配慮と献身(礼拝すること)を並行することで希望を生み出すことができます。

 イエス様によって,古い人を脱ぎ捨て,心の霊において新しくされ,真理に基づく義と聖とをもって神にかたどり造り出された,新しい人を着ることです。
「脱ぎ捨て」「新しくされ」「着る」という3つの局面が語られていますが,要は古いものから新しいものへという転換がキリストにあってもたらされるのだということが言われているのです。

私たちはキリストにより、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された新しい人です。私たちがこのような新しい人にふさわしい生活ができますように祈ります。神様の栄光を受けたものらしく、すべての生活の面で、神様の栄光を現すことができますように祈ります。日々、御言葉により悔い改め、新しい人(新型コロナ感染症を克服する人)を着るように祈ります。

 

礼拝・集会に関するお問い合わせ

PAGE
TOP